発信で「自分らしさ」が消えていく理由 | 正しさより温度を選ぶ勇気

こんにちは、先日こんなポストをしました。

最近、発信について違和感を抱えていました。

「読者のために」と思って、役立つ情報を、共感される言葉で、丁寧に書く。そうすればするほど、自分が誰なのか分からなくなっていく感覚がありました。

タイムラインを見ても同じです。内容は確かに有益。言っていることも正しい。でも、誰が書いたのか思い出せない投稿が溢れている。

私自身、そうなっていました。読み返すと、私じゃなくても誰でも書けそうな内容。そこに「私という人間が、これをどう見たか」がありませんでした。

セラピストとして働く中で、ずっと感じていることがあります。

お客様が求めているのは、「正しい施術」だけではない。技術は大切です。でも、それ以上に重要なのは、その人が何を見て、何を感じ、どう考えているのか。その人間性が見えるからこそ、お客様は安心し、信頼してくださるのだと。

同じ技術を持った施術者が二人いて、なぜ一方は指名が絶えず、もう一方はそうでもないのか。その違いは、技術ではなく「人間性の見え方」にあることが多い。

SNSも、まったく同じ構造だと気づきました。

「誰でも言えること」を丁寧に話す人よりも、「この人にしか言えないこと」を持っている人の方が、圧倒的に面白い。共感される投稿を目指すよりも、私という人間が見える発信をする方が、結果的に誰かの心に深く残る。

なぜなら、人は「情報」ではなく「人」に惹かれるからです。

方法論は便利です。でも、便利さだけを追求すると、発信から「温度」が失われていく。メソッドは再現可能ですが、私の経験や感性は再現不可能です。そこに、代替不可能な価値が生まれる。

「何を伝えるか」ばかりを考えて、「誰が伝えるか」を忘れていた。

これからは、正しさよりも温度を大切にしたい。ノウハウよりも、私自身を。

私が実際に見て、感じて、考えたこと。その主観的な視点と、そこに込められた人間性。それこそが、私にしか提供できない価値だと思うから。

完璧な正解よりも、私の誠実な視点を伝えていきたいと思います。

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