乳首開発、クリトリス開発、膣開発、感度開発。
言葉だけを見ると、どこか前向きで、変化を期待する響きがあります。
でも、そこにすぐ近づけない人もいると思うんです。
感じるとか、気持ちいいとか。
そういう話の前に、そもそも自分の身体を見られることが苦手。
胸の形、体型、肌、傷跡、デリケートゾーン。
誰かに触れられる以前に、自分でさえあまり見たくない場所がある。
そういう気持ちがある人にとって、開発という言葉は、かなり遠くに見えるのかもしれません。
好きになれない身体のまま、話を聞いてもいい
自分の身体が好きじゃない。
この言葉は、思ったより静かに胸の奥にあります。
大きな悩みとして語るほどではないけれど、服を選ぶとき、鏡を見るとき、誰かに近づかれるかもしれない場面で、ふっと顔を出す。
女風の開発の話を調べていると、どうしても「感じる身体」「変わっていく身体」という言葉に出会います。
それ自体は、悪いものではないのだと思います。
けれど、自分の身体に自信がない人にとっては、その前提が少し遠い。
感じる以前に、見られたくない。
変わる以前に、今の自分をどう扱えばいいのかわからない。
そういうところで足が止まることも、たぶんある。
私はこの回を書きながら、昔の試着室のことを思い出しました。
服を着るための場所なのに、鏡の前に立つと、服より先に自分の身体の嫌いなところばかり見えてしまう。
誰も何も言っていないのに、自分の中の声だけが妙にはっきりしている。
- 「ここがもっとこうだったら」
- 「これじゃ無理かもしれない」
- 「見せられる身体じゃない」
その声は、誰かに言われた言葉の残りかもしれないし、自分で長い時間かけて作ってしまったものかもしれません。
どちらにしても、簡単に消えるものではない。
だから、開発に興味があるかどうか以前に、身体を見られることへの抵抗がある人の気持ちは、軽く扱えないと感じます。
青のnoteには、体型への不安を抱える人に向けて書かれた文章があります。
開発の話そのものではないけれど、身体に自信がないまま誰かの前に行くことへの戸惑いを、現場の言葉で受け止めている記事です。
痩せてから行こうなんて思わなくていい、という青の文章があります(青note)
- 「痩せてから」
- 「整えてから」
- 「もう少し自信がついてから」
そう思う気持ちは、すごく自然です。
でも、その条件が整うまで自分の欲求や寂しさを全部あと回しにしなくてもいいのかもしれない。
私はその文章を読んで、少しだけそう思いました。
見せたくない場所がある、という前提から
身体のコンプレックスは、体型だけではありません。
- 肌のこと。
- 傷跡のこと。
- 年齢による変化。
- 胸の形。
- お腹まわり。
- デリケートゾーンへの不安。
こうして並べるだけでも、少し慎重になります。
誰かにとっては何でもない言葉でも、別の誰かにとっては、長く触れられたくなかった場所かもしれないから。
開発という言葉には、どこか「まだ知らない感覚に向かっていく」響きがあります。
でも、身体に自信がない人にとっては、その前に「見せたくない場所をどうするか」という問題がある。
見せたくない。
触れられたくない。
でも、まったく興味がないわけでもない。
この矛盾は、矛盾のまま置いておいていい気がします。
すぐにどちらかを選ばなくていい。
身体を好きになってからでないと、何かを知ってはいけないわけでもない。
青のnoteには、傷跡や肌、見せたくない身体を預けることについて書かれた文章もあります。
見せたくない体を預けてくれた人の話があります(青note)
この文章を読むと、身体を「きれいかどうか」で見ない視線があるのだとわかります。
もちろん、それを信じられるかどうかは人によります。
信じなければいけない、という話でもありません。
ただ、そういう見方をする人もいる。
それを知っておくだけで、少しだけ呼吸がしやすくなる日もあるかもしれない。
私は、自分の身体を好きになりましょう、とは簡単に言えません。
その言葉がやさしく聞こえる日もあれば、遠く聞こえる日もあるから。
好きになれなくても、乱暴に扱わない。
今はそれくらいの距離でも、十分な日があると思います。
経験の少なさまで、身体の恥ずかしさになる
身体への自信のなさは、ときどき経験の少なさともつながります。
あまり経験がない。
誰かに見られることに慣れていない。
自分の反応がどうなのかもよくわからない。
そういう状態で「開発」という言葉に出会うと、まるで自分が遅れているように感じてしまう人もいるかもしれません。
でも、本当は比べるものではないはずです。
身体の感覚も、性への距離感も、誰かと同じ速さで進むものではない。
それなのに、経験が少ないことを「恥ずかしい」と感じてしまう。
その感覚は、どこから来るのだろうと考えます。
たぶん、知っていて当然。
慣れていて当然。
身体に自信があって当然。
そういう空気が、どこかにあるからなのかもしれません。
でも、女風の開発の話をこのシリーズで眺めてきて思うのは、開発は「できる人がさらに先へ進むもの」とは限らないということです。
むしろ、自分の身体のことをよく知らないまま来た人が、少しずつ知っていくための言葉として使われることもあるらしい。
だから、経験が少ないことは、入口に立てない理由ではないのだと思います。
もちろん、立つかどうかは別です。
知るだけで止まってもいい。
青のnoteには、経験の少なさを恥ずかしいものとして扱わない文章があります。
経験が少ないことは恥ずかしくない、という青の文章があります(青note)
こういう言葉に触れると、少しだけ肩の力が抜けます。
「経験がないから無理」ではなく、「経験がないまま、どうしたいかを考えていい」くらいの距離。
そのくらいなら、受け取れる人もいるかもしれません。
誰に頼むかより前に、誰の前なら固まらないか
開発をお願いするなら誰にするか。
この問いは、次の章につながっていきます。
でも、身体に自信がない人にとっては、技術があるかどうかより前に、もっと小さな問いがある気がします。
この人の前で、固まらずにいられるか。
見せたくないと言ったとき、急かされないか。
恥ずかしいと感じる自分を、変に扱われないか。
身体のコンプレックスがある人ほど、開発という言葉の中身より、「その場の空気」を想像してしまうのではないでしょうか。
相手の視線。
言葉の選び方。
沈黙の扱い方。
そういうものが、身体より先に心を固くすることがある。
だから、もし誰かに頼むことを考えるなら、いきなり技術や結果の話に行かなくてもいいのだと思います。
「この人なら、嫌なことを嫌と言えそうか」
「この人なら、まだ無理と言ったときに止まってくれそうか」
そのくらいの問いからでも、遅くない。
次の記事では、その「誰に頼むか」という話に進みます。
開発をお願いするなら、セラピストをどう選ぶのか。
技術より先に見てもいいものがあるのか。
そして、この第3章までで少し疲れた人は、いったん全体の地図に戻ってもいいと思います。
ためらい、客層、身体への自信のなさ。
重い話が続いたので、読む順番を変えてもいい。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
これはあくまで「こんな開発もあるらしい」という紹介の話です。
やるか、やらないか、知るだけにしておくか。それを決めるのは、いつでもあなたです。
もし、急かされずに相談できる人を探しているなら、
露花というお店のセラピストのことを、少しだけ覗いてみてください。
▶ セラピスト・青のプロフィール
https://roca2024.com/ao/
▶ このシリーズ全20記事の地図
https://roca2024.com/kaihatsu-index

