「膣開発」という言葉を初めて見たとき、私は少し身構えました。
少し、というより。
正直に言うと、怖かったです。
膣、という言葉だけでも、なんとなく人前では口にしづらい。そこに「開発」がつくと、急に何かをされる感じがしてしまう。
無理に広げるとか。
痛みに耐えるとか。
我慢して慣らされるとか。
そんな、あまり優しくない映像が頭に浮かびました。
我ながら、勝手な想像だなと思います。けれど、そう思ってしまうだけの理由も、たぶんありました。
私たちは、自分の身体のことをちゃんと習ってこなかったから。
名前は知っている。
でも、どう扱っていいかは知らない。
痛いときに、何が起きているのかもわからない。
そういう場所に「開発」という強い言葉が乗ると、怖くなるのは自然な気がします。
「広げる」話だと思っていた

膣開発、と聞いて最初に浮かんだのは、やっぱり「広げる」というイメージでした。
- 入口が狭いから。
- 慣れていないから。
- 感じないから。
- だから、何かをして変えていく。
そういうふうに、単純に考えていました。
でも、調べたり、女風の世界で語られている言葉を読んだりしているうちに、少し違うのかもしれないと思うようになりました。
少なくとも、露花の文脈でいう「開発」は、身体を力ずくで変える話ではなさそうです。
むしろ逆で。
- 「力を抜けること」
- 「怖がらなくていいと思えること」
- 「嫌なことを嫌だと言えること」
そういう、身体の前にある心の話が、ずいぶん大きいのだと思いました。
膣まわりのことは、痛みや緊張と結びつきやすい場所です。
たとえば婦人科の内診が苦手だったり。
過去の経験で、少し怖くなっていたり。
自分でも理由はわからないけれど、身体が固まってしまったり。
そういう人は、たぶん少なくないのだと思います。
病院の待合室で名前を呼ばれる前の、あの微妙な時間。
別にひどいことをされるわけではないと頭ではわかっているのに、身体のどこかが先に緊張している感じ。
バッグの持ち手を、意味もなく握り直したりして。
あれはきっと、頭だけではどうにもならない反応です。
だから膣開発も、「慣れればいい」「我慢すればいい」という話ではないのだと思います。
緊張している身体に、正論は届きにくい



「リラックスして」と言われても、できないときがあります。
そんなこと、わかっている。
力を抜いたほうがいいのも、わかっている。
でも、抜けない。
身体が先に警戒してしまう。
内向的な人ほど、という言い方が合っているのかはわかりません。
けれど、人に見られることや、触れられることや、期待されることに敏感な人ほど、身体がぎゅっと固まる瞬間はある気がします。
そして、その固まった身体に向かって「大丈夫」「怖がらなくていい」と言われても、すぐにはほどけない。
言葉としては優しくても、こちらの準備が追いついていないときがあるから。
膣開発という言葉を、私はずっと身体の問題だと思っていました。
でも、今は少し違います。
これは、身体の入口に見えて、実は「安心できるかどうか」の入口なのかもしれない。
もちろん、膣や膣口、膣内の感覚そのものの話も含まれるのだと思います。
性感や感度という言葉で語られることもあります。
ただ、そこだけを切り取ると、どうしても「感じる身体にならなきゃ」という圧に見えてしまう。
それが苦しい。
- 感じるかどうかの前に、怖くないか。
- 嫌じゃないか。
- 痛くないか。
- 途中でやめたいと言えるか。
そのほうが、ずっと大事な気がしました。
前の記事で、私はクリトリスのことをちゃんと習わなかった、という話を書きました。
膣のことも、たぶん同じです。
知っているようで、知らない。
自分の身体なのに、自分の言葉で説明できない。
だから、誰かの強い言葉に引っ張られやすい。
「膣開発」という言葉も、そのまま受け取ると強すぎるけれど、「緊張していた場所が、少し安心を覚える話」と捉えると、私は少しだけ息がしやすくなりました。
痛いなら、止まっていい
膣口が痛い。
膣が怖い。
入ることを考えるだけで、身体が固まる。
そういう言葉を見ると、私はすぐに「原因を探さなきゃ」と思ってしまいます。
体質なのか。
経験不足なのか。
何かがおかしいのか。
けれど、そこで自分を責める方向に行ってしまうと、余計に苦しくなる気がします。
痛みがあるなら、無理に進めない。
強い違和感が続くなら、医療の場で相談する。
女風の話と、医療の話は混ぜすぎない。
これは、ちゃんと分けておきたいです。
女風で語られる開発は、病気を治すものではないし、身体の不安を全部解決するものでもないはずです。
そういうふうに期待しすぎると、また別のしんどさが生まれてしまう。
でも、成人した人同士の同意がある場で、無理をしないこと、怖いと言えること、触れられる前に確認できること。
そういう経験が、身体の警戒を少しゆるめることはあるのかもしれない。
私はそれを、効果として断定したくはありません。
ただ、「痛いのに我慢するのが開発」ではない。
そこだけは、はっきり書いておきたいです。
もし「ここはイヤ」と言うのが苦手なら、後の回で書く予定の開発で大事なのは技術より、嫌だと言える対話かもしれないという話にもつながっていきます。
たぶん、ここは避けて通れない場所です。
どんなに知識があっても、どんなに経験がある人でも、こちらの「待って」を聞いてくれないなら怖い。
逆に、まだ何も起きていなくても、「止めていい」と思えるだけで、身体の緊張は少し変わるのかもしれません。
少し、です。
大きな魔法みたいには書きたくない。
「感じるため」だけじゃないのかもしれない



膣開発という言葉は、どうしても「膣で感じるようになること」や「中でイケるようになること」と結びつけられがちです。
検索していても、そういう言葉はたくさん出てきます。
でも私は、その流れに少し疲れてしまいました。
また正解を出されている気がしたからです。
感じる身体が上で、感じない身体が下。
中でイケる人が進んでいて、そうでない人は未完成。
そんなふうに聞こえてしまう瞬間がある。
もちろん、そうなりたいと願う人を否定したいわけではありません。
自分の身体で、知らなかった感覚に出会ってみたいと思うことは、自然なことだと思います。
でも、それを「できなきゃいけない」に変えた瞬間、急に苦しくなる。
膣開発は、できるようになるための訓練ではなくて、自分の身体に対して「怖がっていたんだね」と気づく時間でもあるのかもしれません。
変な言い方ですが。
身体に向かって、急に命令しない感じ。
「ほら、感じて」ではなくて、
「今、どこが怖い?」と聞くような。
そんなふうに考えると、膣開発という言葉の印象が少し変わりました。
次の回では、Gスポットやポルチオ、中イキという、もっと「正解」っぽく語られやすい言葉に触れることになります。
正直、ここも私は少し苦手です。
だからこそ、Gスポット・ポルチオ・中イキが正解みたいに語られることへの違和感を、いったん言葉にしておきたいと思っています。
できる、できない。
感じる、感じない。
進んでいる、遅れている。
そういう線の引き方から、少し離れてみたい。
膣開発の話を調べていて、私がいちばんほっとしたのは、結局そこでした。
身体を変えなきゃいけない話じゃない。
怖がる自分を、置いていかない話なのかもしれない。
まだうまく言えないけれど。
膣という言葉を、こんなに慎重に扱いたくなるのは、そこがただの部位ではなくて、その人の記憶や恥ずかしさや不安と、深く結びつきやすい場所だからだと思います。
だから、急がなくていい。
知るだけの日があってもいい。
読んで、閉じて、また日常に戻るだけでもいい。
私もたぶん、そうやって少しずつ慣れていく側の人間です。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
これはあくまで「こんな開発もあるらしい」という紹介の話です。
やるか、やらないか、知るだけにしておくか。それを決めるのは、いつでもあなたです。
もし、急かされずに相談できる人を探しているなら、
露花というお店のセラピストのことを、少しだけ覗いてみてください。
▶ セラピスト・青のプロフィール
https://roca2024.com/ao/
▶ このシリーズ全20記事の地図
https://roca2024.com/kaihatsu-index









