なぜ人は
〇〇イキと名前を付けたがるのか?
キスイキ
乳首イキ
腹イキ…
etc
近年、快感にまつわる言葉は
やたらと細かく分類されるようになったと感じる。
多様性が広がった、と言えば聞こえはいい。
だが神無月は、この流れに一度立ち止まって考えたくなる。
言葉を細分化することは
多くの場合、マーケティング的なラベリングにすぎない。
なぜなら、身体や神経、脳の仕組みが
部位ごとにまったく別物になるわけではないからだ。
厳密には受容器や感度の違いはあるが
快感が生まれる基本的な神経処理の流れ自体は共通している。
快感は、皮膚や粘膜への刺激が神経を通って脳へ伝わり
情動や自律神経の反応として全身に統合される。
入口がどこであっても、この基本構造は変わらない。
これは神経生理学の基礎であり
現場で人の身体と向き合ってきた者なら、感覚的にも理解できる事実だ。
むしろ問題は、言葉が増えることで起きる「心の変化」にある。
〇〇イキという言葉を知った瞬間、人は無意識に考え始める。
・自分は出来るのか、出来ないのか
・自分は経験していないのではないか
誰かと比べ、評価し、正解を探す思考が前に出る。
この時、脳では判断や制御、自己監視を担う領域が強く働く。
すると、身体の内側の感覚や情動を司る回路は
相対的に抑えられやすくなる。
理性が前に出すぎた瞬間、体は
「感じる側」
ではなく
「守る側」
に回る。
その状態では、反応は浅くなり、深く入りづらくなる。
これは気持ちの問題ではなく、生理的に起きている現象だ。
〇〇イキという言葉は、結果に後から付けられた名前にすぎない。
本来、身体は試験を受けるための装置ではない。
正解を出そうとした瞬間、快楽は遠のいてしまう。
だからこそ大切なのは、とてもシンプルだ。
・今、楽しいか
・今、安心できているか
・今、体の力は抜けているか
この土台が整ったとき、反応は自然に立ち上がってくる。
言葉に引っ張られるすぎるのではなく
自分の内側で起きている感覚に目を向けること。
それが、快感を深めるための
いちばん確かな道だと、神無月は考えている。
#神無月日記

