言いたいことも言えない声が消される時代に本音を拾うという仕事

言いたいことも言えない声が消される時代に本音を拾うという仕事

こんにちは、先日こんなポストをしました。

最近、Xの凍結だの規制だので、前よりさらに言いたいことが言えない空気が濃くなってきてる気がする。

別に過激なことを言ってるわけじゃなくても、誰かの基準に引っかかったら一瞬で声が消される。

それを見てると、みんなますます余計な誤解を恐れて黙るようになって、言葉の温度がどんどん下がっていくのがわかる。

…まあ、そういう時代なんだろうけど。

現場でも同じで、本当は語りたいことがあるのに、口に出す前に自分で止めてしまう人が多い。自慢に聞こえたら嫌だとか、弱みだと思われたら面倒だとか、そういう小さな躊躇いが積み重なると、その人がいちばんおもしろい部分ほど外に出なくなる。

こっちは横で見てて、なんでそこ隠すのって思うのに、本人からするとそれが普通なんだよね。

だからこそインタビューは強い。

自分から言うのは気まずいことでも、誰かに聞かれたら自然と出てくる。むしろ、少し戸惑いが残ったままの言葉のほうが、その人の温度が感じられて、読む側にはまっすぐ届く。

整えた文章より、会話の中でふと漏れる本音のほうが圧倒的に信頼されるのは、そのせいだと思う。

本人が言いづらい価値って、第三者が拾うと別物みたいに輝くことがある。自分で言えば自意識が邪魔するし、弱みっぽく見える。でも外から聞き出すと、それがそのまま魅力になる。

評価を美化するでもなく、卑下するでもなく、ただの事実として浮かび上がる。そういう言葉って、後から読み返しても消えない強さがある。

読者も、文章として整いすぎたものより、誰かの声のほうに自然と入り込む。会話って、その人の表情や息遣いまで想像できるから、同じテーマを扱っていても距離が近くなる。

ああ、この人にもこういう瞬間があったんだとか、こういう裏側があったんだとか、自分の中にある小さな違和感と繋がるんだよね。

語り手が増えると世界が広がるのもインタビューの良さ。ひとりひとり違う視点を持っていて、同じ仕事をしてても見えている景色が微妙に違う。その積み重ねが、サイト全体の厚みや奥行きを勝手に作ってくれる。

結局、言葉ってその人の人格がそのまま出るものなんだよね。

写真は見た目、日記は日常。でも話して出てくる言葉は、その奥にいる人そのもの。

だからこそ、それを拾って形にするインタビューは、ただの企画じゃなくて、その人の存在をちゃんと残す手段になる。

本人が飲み込んだままの本音を、そっと拾って外に運ぶ役目。

今みたいな声の出しづらい時代だからこそ、その橋渡しって必要なんじゃないかな。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次